寺西家阿倍野長屋の歴史は、大阪・昭和町の都市形成史と深く繋がっています。1920年代の阪南土地区画整理から現在まで、約100年の時間の中で、この建物と地域がどのように歩んできたのかを、時系列で紹介します。
阪南土地区画整理
寺西家の長屋と町家が建つ阿倍野区阪南町は、大正12年(1923年)に設立された阪南土地区画整理組合の区域内にあります。この区画整理により、昭和6年(1931年)に換地処分が完了し、現在の街区が形成されました。
昭和町駅の開業
昭和町は、地下鉄御堂筋線の開業に伴い発展した地域です。交通の利便性が高まることで、この地は大阪の都市化の中心地の一つとなり、住宅地として急速に発展していきました。
昭和初期の繁栄
1930年代の昭和町は、新しい街として活気に満ちていました。都市ガスや上下水道などの近代的なインフラが整備され、多くの人々が新しい暮らしを求めてこの地に移り住みました。寺西家の長屋と母屋は、この時代の「豊かな暮らし」を象徴する建築です。
寺西家阿倍野長屋 歴史年表
1926年の母屋建設から現在まで、約100年の歩み
洋式応接室や中廊下を備えた、大正デモクラシーの影響を受けた先進的な戸建て住宅が建設されます。当時としては最新の建築技術と生活様式を取り入れた住宅です。
昭和町の街区形成が完了します。近代的なインフラ(都市ガス、上下水道)が整備され、この地は大阪の新しい住宅地として発展していきました。
木造2階建、入母屋造、瓦葺き、防火壁付きの四軒長屋が建設されます。都市ガス、風呂など当時としては先進的な設備を備えた、「豊かな長屋」として誕生しました。
寺西家は母屋に住み、長屋は貸家として地域の人々の暮らしを支えます。昭和の時代、この長屋は多くの家族の思い出の場所となり、地域コミュニティの中心的な存在でした。
築60年を超えた長屋の老朽化が進みます。入居募集が止められ、空き家が増えていきました。この時期、「解体してマンションに建て替える」という案が検討されていました。
寺西家阿倍野長屋は、近代長屋として全国で初めて、国の登録有形文化財に登録されます。「長屋を残してほしい」という地域の声と専門家の助言が、この決断を支えました。
建築家と宮大工の協力により、丁寧な修景工事が行われます。「当初の姿を生かす」という理念のもと、瓦屋根の積み直し、塀・門の復元、土壁や柱の補強などが実施されました。
飲食店やギャラリーが入居し、長屋は「地域の文化拠点」として新しい役割を担い始めます。全国から見学者が訪れ、「建物を守ることが、人をつなぐこと」という理念が実現されました。
ブログ「ようこそ登録文化財へ」で、長屋の再生ストーリーが詳しく記録されます。「長屋がなぜ残った」「長屋の修景工事」など、多くの人々に長屋の価値が伝えられました。
寺西家阿倍野長屋は、大阪市都市景観建築賞受賞、生きた建築ミュージアム選定など、高い評価を受けています。文化財保護と地域活性化の先駆的モデルケースとして、これからも多くの人々に愛される場所であり続けます。
参考資料
本資料は、一般財団法人住宅生産振興財団が発行する機関誌『家とまちなみ』(2013年刊)に掲載された、寺西興一の論文「まちなみと登録文化財 昭和初期の長屋」を再構成したものです。














