再生プロジェクトの始まり
築70年を超えた老朽長屋は、当初「解体してマンションを建設する」という計画でした。しかし、一人の建築家の助言が、この建物の運命を大きく変えました。そこから始まった「再生プロジェクト」は、単なる建物の修復ではなく、地域と人々の繋がりを取り戻すプロジェクトとなりました。
決定の経緯
長屋は築70年を超え、老朽化が進んでいました。相続の問題もあり、「マンションに建て替える」という計画が進められていました。複数のマンション業者から提案を受け、契約直前まで進んでいました。
京都大学の西澤英和先生が、取り壊そうとしていた長屋を視察され、「なかなか良い長屋で登録文化財になるのでは?」とのアドバイスをくださいました。この一言が、すべてを変えました。
大阪府教育委員会・文化財保護課に相談。長屋が登録文化財の条件に該当し、「長屋としては全国で最初の登録文化財になる」との情報を得ました。この瞬間、「壊すのはいつでもできる」という決断が生まれました。
寺西家阿倍野長屋は、国の登録有形文化財として正式に認定されました。近代長屋として全国初の登録。この認定により、建物の保存と活用の道が確定しました。
プロジェクトが直面した課題と解決策
70年間、外装は当初のまま放置。文化財として見直されるまで、修理されていませんでした。
建築家と宮大工の協力により、当初の姿に戻す修景工事を実施。屋根の葺き替え、外壁改装などを行いました。
文化財の維持には経済的負担が必要。マンション建設の方が収益が多いと考えられていました。
飲食店やギャラリーとして活用。修景工事後、実は長屋の方がマンションより高収益であることが判明しました。
このプロジェクトは、 「壊すのはいつでもできるが、残すには勇気と決断が必要」 という哲学に基づいています。一人の建築家の助言、地域の声、所有者の決断が重なり、昭和初期の建築遺産が守られました。
修景工事の詳細
工事の基本方針は、 「建設当初の姿に戻すこと」 でした。70年間、外装は当時のまま手を入れられていなかったため、文化財としてふさわしい本来の意匠と機能を回復させる必要がありました。
入母屋造の瓦屋根を当初の姿に戻すため、既存の瓦を丁寧に選別して再利用しつつ、新しい瓦と組み合わせて全面的な積み直しを実施しました。
昭和初期の勾配・意匠を忠実に再現経年で傷んだ土壁や木部を補強・修復。漆喰や杉板など自然素材を使用し、当初の外観を取り戻しつつ現代基準の耐久性も確保しました。
調湿性を活かしつつ防水性能を向上寺西家長屋の特徴である「邸宅型長屋」としての格式ある門構えと板塀を、残された痕跡や古写真を元に復元しました。
木製門扉や土壁など当時の素材感で統一構造部の腐食は補修しつつ、間取りや建具は可能な限り現状維持。店舗として活用できるよう、歴史的意匠を損なわない範囲で改装しました。
飲食店・ギャラリーへの用途変更に対応宮大工の職人技
工事を手掛けたのは宮大工の川人良明棟梁。「修理」ではなく「再生」を目指し、建物の本質を見極めた伝統技術が随所に活かされています。
- 柱の根継ぎ:腐食した足元部分のみを新材へ交換し、建物の寿命を延ばす
- 土台の入れ替え:建物全体をジャッキアップし、基礎部分を丁寧に更新
- 瓦の選別:使える古瓦を一枚一枚見極め、時代感を残す工夫
- 建具の調整:歪んだ障子や格子戸を削り合わせ、スムーズな動きを復活
この工事により寺西家阿倍野長屋は
「老朽化した古家」から「地域の文化拠点」へ
と生まれ変わり、その建築的価値が再認識されました。
経済的効果と収益性
文化財の保存には多額の費用がかかると考えられがちです。しかし、寺西家阿倍野長屋の事例は、意外な事実を明らかにしました。スクラップ・アンド・ビルド(解体して新築)よりも、既存の建物を活かす方が、実は高い収益性を生み出したのです。
| 比較項目 | マンション 建設案 |
長屋 再生案 |
|---|---|---|
| 初期投資 | 約1億7千万 | 約1,700万(10分の1) |
| 借金返済 | 年 約800万 | なし(自己資金) |
| 家賃収入 | 約1,400万 | 約700万 |
| 固定資産税 | 約135万 | 約3万(優遇措置) |
| 手残り | 約300万 | 約600万 |
マンション建設のリスク
マンション建設には約1億7千万円もの初期投資が必要でした。年間約800万円のローン返済と高額な固定資産税(約135万円)が重くのしかかり、見かけの家賃収入が多くても、最終的な手取りは約300万円にとどまる試算でした。
長屋再生のメリット
一方、長屋の修景工事は約1,700万円で済み、借金をせずに実施できました。さらに登録有形文化財になったことで固定資産税が半額(土地は6分の1)等の優遇措置が適用され、維持費が劇的に圧縮されました。結果、手元にはマンション案の倍にあたる約600万円が残ることになりました。
長期的な資産価値
鉄筋コンクリート造のマンションは約70年で建て替え時期を迎えますが、木造建築は適切な手入れを行えば100年以上使い続けることが可能です。「壊して造る」から「直して使う」へ。長い目で見ても、長屋の保存は理にかなった選択でした。
文化財保存は「負担」ではない
このプロジェクトが証明したのは、
「文化財を守ることは、経済的にも合理的な選択になり得る」
ということです。歴史的価値と経済的価値は、決して対立するものではありません。
再生プロジェクトの意義
寺西家町家(母屋)の再生
当初マンション建設を検討していた母屋も、長屋再生の成功を受けて保存へ。屋根の葺き替えと内装改修を経て登録文化財となりました。現在は落語会や生け花展示など、地域の文化拠点として親しまれています。
蔵の再生と活用
「珍しくなった町家の蔵を活かしたい」という想いから、壁に入口を設けて店舗へ改修。昭和初期の重厚な蔵が、現代の商業空間(蕎麦屋)として新たな役割を担っています。
再生された建物の活用事例
寺西家の長屋、母屋、蔵は、単なる「静態保存」ではなく、実際に使われることで地域の文化と経済を支えています。
- 飲食店長屋に入居し地域の食を支える
- ギャラリー地域の芸術活動の拠点
- 上方落語の会毎月開催される田辺寄席
- 生け花展示会季節ごとの展示
- 乙女文楽の会伝統芸能の上演
- 二胡の演奏会音楽イベント
- 地域手づくり展住民の創作発表の場
- 蕎麦屋蔵を活用した店舗
プロジェクトがもたらした6つの意義
昭和初期の建築技術と生活文化を記録する建物が、破壊されることなく次世代へ引き継がれました。「粗大ゴミ」と見なされていた古家が「地域の宝」に変わった瞬間です。
再生された建物は、閉ざされた私邸ではなく、地域の人々が集い交流する文化活動の中心地となりました。
文化財の保存が負担ではなく利益を生むことを実証しました。「古いものを活かす」ことが経済的にも優位であるという事実は、多くの所有者に勇気を与えます。
解体して廃棄物を出す「スクラップ・アンド・ビルド」ではなく、既存ストックを活用する「リユース」を実現し、環境負荷を大きく削減しました。
建築家、宮大工、テナント、来訪者など、多くの人がこの建物を通じて繋がりました。「建物を守ることが、人をつなぐこと」を体現しています。
公的支援だけに頼らず、民間主導で収益を生み出しながら保存する手法は、全国の文化財保護の先駆的モデルとして評価されています。